[ニュース] 日本体育大・大塚正美、「誰かの後ろは走らない」プリンス…1980~83年出場
スピードランナーの並走は10キロほど続いた。1983年の花の2区。日体大4年だった大塚正美さん(62)は、ライバルの足取りに注意を払い、慎重にレースを進めていた。 東京農業大・山本吉光、大エースを追いかけ4年連続区間賞…1974~77年出場 1983年の2区で東洋大をかわしてトップ争いを演じる日体大の大塚正美(中央)と大東大の米重修一(右) 花の2区で区間記録、12年破られず 2位でたすきを受けた大塚さんが警戒したのは、1学年下ながら屈指の実力を持つ大東大の米重修一だった。じっくり入り、23秒後にスタートした好敵手を待つ。前年まで3年連続区間賞に輝いていた大塚さんには「絶対に誰かの後ろを走らない」という美学があった。5キロ過ぎ、追いついた米重と並んで走り始めた。 「狙い通りの展開。淡々と自分のリズムで走って主導権を握る」。2区は前年に経験済み。仕掛けるポイントも決めていた。権太坂の手前でペースを上げ、突き放す。1時間7分34秒の新記録で4年連続区間賞を達成し、3年ぶりの総合優勝に貢献。その記録は95年に早大の渡辺康幸に抜かれるまで、日体大黄金期の足跡として12年残り続けた。 当時のチームは指導者不在。部員が学長に改善を直談判するなど混乱した。大塚さんは4年になると「部員を巻き込みたくない」と寮を出て大学と交渉を続け、秋頃までは箱根に出るつもりはなかったという。だが「2区だけ残っている。帰ってこい」との仲間の声でカムバック。「走りで自分を表現し、4年連続区間賞を成し遂げた。会心の駅伝でした」と振り返る。 1 2
スピードランナーの並走は10キロほど続いた。1983年の花の2区。日体大4年だった大塚正美さん(62)は、ライバルの足取りに注意を払い、慎重にレースを進めていた。
花の2区で区間記録、12年破られず
2位でたすきを受けた大塚さんが警戒したのは、1学年下ながら屈指の実力を持つ大東大の米重修一だった。じっくり入り、23秒後にスタートした好敵手を待つ。前年まで3年連続区間賞に輝いていた大塚さんには「絶対に誰かの後ろを走らない」という美学があった。5キロ過ぎ、追いついた米重と並んで走り始めた。
「狙い通りの展開。淡々と自分のリズムで走って主導権を握る」。2区は前年に経験済み。仕掛けるポイントも決めていた。権太坂の手前でペースを上げ、突き放す。1時間7分34秒の新記録で4年連続区間賞を達成し、3年ぶりの総合優勝に貢献。その記録は95年に早大の渡辺康幸に抜かれるまで、日体大黄金期の足跡として12年残り続けた。
当時のチームは指導者不在。部員が学長に改善を直談判するなど混乱した。大塚さんは4年になると「部員を巻き込みたくない」と寮を出て大学と交渉を続け、秋頃までは箱根に出るつもりはなかったという。だが「2区だけ残っている。帰ってこい」との仲間の声でカムバック。「走りで自分を表現し、4年連続区間賞を成し遂げた。会心の駅伝でした」と振り返る。
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