逸材・大の里を預かった責任の重み(二所ノ関寛)

筆者の二所ノ関親方(左)と大の里=共同このたび日本経済新聞電子版にコラムを執筆することになりました大相撲の元横綱稀勢の里の二所ノ関寛です。きょう3日は私の37歳の誕生日です。節目の日に連載をスタートすることとなりました。故郷である茨城県の県南地域に部屋を構えてから1年が経過し、親方としての第二の相撲人生が本格的に幕を開けました。これからはこのコラム「稀勢の里の相撲道」を通じ、日々感じていることや大相撲の魅力、現役力士たちの奮闘など幅広い話題を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。1回目のテーマは5月の大相撲夏場所に幕下10枚目格付け出しでデビューした私のまな弟子、石川県出身の大の里についてです。◇日本体育大学時代に2年連続アマチュア横綱に輝いた大の里のデビュー戦だった夏場所初日の1番相撲はファンの注目を集め、本人は硬くなってしまったようだ。相手が日体大の先輩(石崎)だったことで余計にやりづらさもあったのではないか。立ち合いから攻め込んだものの、土俵際で突き落とされて逆転負けし、悔しい黒星スタートとなった。夏場所初日の1番相撲で石崎(右)に突き落としで敗れた大の里=共同その後は力を発揮して6連勝。6勝1敗で終えた。宮城野親方(元横綱白鵬)の弟子の落合(7月の名古屋場所から伯桜鵬に改名)に続き、昭和以降最速となる所要1場所での十両昇進を期待する声もあったが、応えられなかった。1場所や2場所早く昇進するよりも、角界には「3年先の稽古」という格言があるように、将来活躍するための力を養う稽古を毎日重ねていくことが大事だ。1場所で昇進できずに逆によかったと思う。期待を集めながら喫したデビュー戦の黒星を糧にすることで、力士としての深みや味わいも出てくるはずだ。身長192センチ、体重177キロの恵まれた体格で、強力な突き押しが一番の武器だ。四つ相撲も取れ、差して前に出ていくのも大の里のスタイル。強いていうと右四つだが、左四つでも取れる。夏場所3日目の2番相撲で塚原を攻める大の里(右)。押し出しでプロ初白星を挙げた=共同4月に弟弟子の元大関高安が私の部屋に出稽古に来た際、胸を出してもらった。高安は大の里を既に幕内レベルだと評したうえで「とくに2歩目、3歩目の出足がすごい」と言っていた。裏返すと、立ち合いはまだまだ甘いということだろう。私も高安と同じく幕内レベルの力はあるとは

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逸材・大の里を預かった責任の重み(二所ノ関寛)

このたび日本経済新聞電子版にコラムを執筆することになりました大相撲の元横綱稀勢の里の二所ノ関寛です。きょう3日は私の37歳の誕生日です。節目の日に連載をスタートすることとなりました。故郷である茨城県の県南地域に部屋を構えてから1年が経過し、親方としての第二の相撲人生が本格的に幕を開けました。これからはこのコラム「稀勢の里の相撲道」を通じ、日々感じていることや大相撲の魅力、現役力士たちの奮闘など幅広い話題を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。1回目のテーマは5月の大相撲夏場所に幕下10枚目格付け出しでデビューした私のまな弟子、石川県出身の大の里についてです。

日本体育大学時代に2年連続アマチュア横綱に輝いた大の里のデビュー戦だった夏場所初日の1番相撲はファンの注目を集め、本人は硬くなってしまったようだ。相手が日体大の先輩(石崎)だったことで余計にやりづらさもあったのではないか。立ち合いから攻め込んだものの、土俵際で突き落とされて逆転負けし、悔しい黒星スタートとなった。

その後は力を発揮して6連勝。6勝1敗で終えた。宮城野親方(元横綱白鵬)の弟子の落合(7月の名古屋場所から伯桜鵬に改名)に続き、昭和以降最速となる所要1場所での十両昇進を期待する声もあったが、応えられなかった。

1場所や2場所早く昇進するよりも、角界には「3年先の稽古」という格言があるように、将来活躍するための力を養う稽古を毎日重ねていくことが大事だ。1場所で昇進できずに逆によかったと思う。期待を集めながら喫したデビュー戦の黒星を糧にすることで、力士としての深みや味わいも出てくるはずだ。

身長192センチ、体重177キロの恵まれた体格で、強力な突き押しが一番の武器だ。四つ相撲も取れ、差して前に出ていくのも大の里のスタイル。強いていうと右四つだが、左四つでも取れる。

4月に弟弟子の元大関高安が私の部屋に出稽古に来た際、胸を出してもらった。高安は大の里を既に幕内レベルだと評したうえで「とくに2歩目、3歩目の出足がすごい」と言っていた。裏返すと、立ち合いはまだまだ甘いということだろう。

私も高安と同じく幕内レベルの力はあるとは感じているが、幕内になると立ち合いの厳しさがアマチュア相撲とは大きく変わってくる。立ち合いをもっと磨いていかないと、幕内上位では通用しない。

先代師匠(故・鳴戸親方=元横綱隆の里)が私に教えてくれたのは突き押し主体の前に出る相撲だった。相撲は前に出ている時はケガをしにくい。後ろに下がりながらの逆転技だったり、まわしを取った後に前に出ずにすぐに投げを打ったりすると故障を招くので、先代は相手をまっすぐ押す力を磨くように私に求め続けた。

おかげで私は横綱になるまで、1日しか休場したことがないほど故障とは無縁だった。私も先代が授けてくれたケガをしにくい相撲を弟子たちに教えていきたいと思っている。当然、故障をしない体づくりも大切になる。

大の里は腰の割り方もまだまだ甘い。腰を割って当たっていくことで相撲に厳しさが増し、立ち合いからもっていかれることもなくなる。そうすれば当然、故障するリスクも減る。もっと腰が割れるように稽古場で基礎から厳しく鍛えていきたい。

アマチュア相撲であれほどの体格の子はいないと思うが、大相撲には少なからずいる。だから体格任せの相撲ではなく、まわしを切る技術や相手の形にさせない技術、組んだ時に相手にまわしを取らせない技術なども大切になってくる。上手を取る位置やいなし方も含めて、極めればまだまだ成長の余地が大きい。

「大の里」は先代師匠が私が出世した時につけようとしていたしこ名候補の一つで、私自身も横綱や大関になれる可能性のある弟子が現れたら授けようと温めていた。大正から昭和初期に活躍し、「相撲の神様」と呼ばれた元大関の「大ノ里」に由来する。

大ノ里の出身地の青森県では今もしこ名を冠した相撲大会が開かれ、しこ名に由来する銘菓もあるほど、今でも地元ではなじみの深い力士の一人だ。青森県出身の先代も大ノ里に特別な思いを抱いていたようで、私のしこ名の候補の一つにしたのだろう。

命名にあたっては、大ノ里の親族に、私の兄弟子で同じ青森県出身の西岩親方(元関脇若の里)を通じてご了承をいただいた。親族の方には非常に喜んでいただき、「(大ノ里の)しこ名が表に出るのはうれしい。ぜひお願いします」と言っていただいた。青森が誇る名大関に由来するしこ名をいただいた以上、その名に恥じない力士に育てていく責任を感じている。

=随時掲載

(元横綱稀勢の里)

にしょのせき・ゆたか 本名・萩原寛。1986年7月3日生まれ。茨城県牛久市出身。2002年春場所初土俵。04年夏場所に新十両、同年九州場所に新入幕。11年九州場所後に大関昇進。17年初場所で初優勝し、場所後に横綱昇進。幕内優勝2回。19年初場所中に引退し年寄・荒磯を襲名。21年12月に二所ノ関に名跡変更。22年6月に茨城県阿見町に部屋を設けた。

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